Off-White:「ストリート」の追求 - Off-Whiteとヴァージル・アブローの軌跡
Off-White(オフホワイト)とVogue(ヴォーグ)によるブラックカリキュラムのためのコラボレーションアイテム©︎British VOGUE
Off-White c/o Virgil Abloh(オフホワイトc/oヴァージル・アブロー)は、アメリカのファッションデザイナーであるVirgil Abloh(ヴァージル・アブロー)によって2013年に設立された。
ストリートウェアとハイファッションを掛け合わせたラグジュアリー・ストリートを代表する斬新なデザインが有名。人気に火が付いて以来、入手困難になることが多く、セレブリティや多くのファッション愛好家のアイコンとなっている。
従来のストリートウェアになかった上質な素材と、特徴的なデザイン、機能的で使いやすい仕様が印象的だ。
デビュー当初は、全てのアイテムに太いストライプで斜めに覆われたナンバー「13」と「WHITE」というブランドのシグネチャーロゴを施した。現在では、鮮やかなグラフィックは控えめになり、よりエッジーでモードなコレクションが目立っている。ブランドのアイコンバッグは2019年に登場した「Jitney」だ。ブランドアイコンの矢印をモチーフにした、回転式のメタリックバックルをフロントにあしらったデザインが特徴となっている。
2019年に発売されたアイコンバッグ「Jitney」 ©︎fashionsnap
度々話題を呼ぶコラボレーション NIKE×Off-White ウィメンズ エアジョーダン 4 レトロ SP セイル/モスリン-ホワイト-ブラック©︎UP TO DATE
オフホワイトは、圧倒的な短期間の間にNike(ナイキ)やLEVI’S(リーバイス)、Timberland(ティンバーランド)など有名ブランドとコラボレーションし、地位と名声を獲得していった。
RAF SIMONS(ラフシモンズ)と同様に、ブランドが設立されてから3年以内にLVMH賞の最終候補に選ばれたため、話題を呼んだ。パリファッションウィークで初のメンズウェアコレクションFW16を発表し、「BoF 500」の殿堂入りを果たした。
2016年には東京・青山にフラッグシップストアがオープンし、同年12月にはIKEA(イケア)とコラボレーションが実現した。
それから2017年まで、ストリートやHip-Hop文化に心酔するナイキとコラボスニーカーシリーズ「The Ten」を制作。ナイキのクラシックスニーカーを10種類厳選し、デザインを再構築した。
元の形状を保ちながら、透明な素材やジッパー、露出したディテール、印刷技術など、独自の識別要素を取り入れ、自身が建築家である背景と相互に呼応させた。
上 Nikeとのコラボスニーカー「The Ten」シリーズ 下 自身のデザインしたスニーカーにサインを書くアブロー©︎SNEAKER NEWS ©︎GXO
人気のきっかけのヒントは「バイアス」と「アロー」
イタリアのファッショングループ New Guards Group(ニューガーズグループ)の協力を得て2013年に設立されたオフホワイトだが、有名になったきっかけは何だったのか。それは、ブランドアイコンでもあるバックプリントだ。大きなストライプ「バイアス」、四方に伸びた矢印「アロー」。これらのアイテムは、セレブリティなどが着用したことにより人気に火が着き、ブランドの成長へ繋がった。
白のストライプ「バイアス」とその下の矢印「アロー」©︎BUYMA
これらの美学的提案やデザインコンセプトは、世界中で正式に支持された。「バイアス」や「アロー」といった手書きの引用符やジッパータイ、大文字のアルファベット、そしてバリケードテープのデザインがブランドの特徴となった。
彼の歴史や文化を再構築するその情熱が完全に表現された設計コンセプトは、瞬く間に世界中で大流行し、世紀の話題を引き起こした。
今回は、ヒップホップに根付いたカルチャーと、ストリートウェアをグラマラスなジャンルへと昇華させたヴァージル・アブローのファッションにおける哲学と、その歴史を辿る。
鬼才 ヴァージル・アブローを辿る
オフホワイトの創設者であるヴァージル・アブローは、アメリカ・シカゴにあるイリノイ州・ロックフォード出身のアフリカ系黒人デザイナーである。母親はガーナ移民であり、裁縫士をしていた。父親は塗料会社の経営者、母親は洋服作りが趣味で、仕事に繋げていた。アブローは、ファッションデザイナーとして両親の影響を受けた。
ヴァージルアブローの父 ニー・アブロー、母ユーニス・アブロー、兄妹のエドウィナ・アブロー ©︎GXO
アブローは、クリエイティブディレクターであり、建築家であり、アーティストだった。そして、オフホワイトのクリエイティブディレクターとLouis Vuitton(ルイヴィトン)のメンズ・アーティスティック・デザイナーとして全盛期を迎えた2021年、41歳という若さでこの世を去った。2018年にはルイヴィトンに加わり、メゾン初の黒人デザイナーとして、その歴史に名を刻んだ。
「サブカルチャーで起こりうるエリート主義や縄張り意識に関係ない、グローバルなコミュニティを作ること」※1
彼はクリエイティブとファッションの先にある到達目標として、この言葉を掲げている。
ヴァージル・アブローのファッション哲学は、ファッション業界に衝撃を与えた。今までのファッション業界に一石を投じ、常に異議を唱えてきた先駆者であった。それだけでなく、メンズとレディースの垣根を超えた新しいスタイルを生み出し、新たな世界を次々と切り開いていった。その影響力はファッションだけにとどまらず、他の分野でも記憶されている。
また、ラグジュアリーブランドにおいて白人至上主義が色濃く残る中、アブローは数少ない黒人デザイナーとして偉大な功績を残した。
そもそもアフリカ系出身がメインストリームの舵取り役に起用されることは、まさにアブローなどがファッションシーンに登場してからのことだ。
「私は自分のルールで、自分の論理で行動します。何も恐れません」※2
2022年秋冬キャンペーンで発表されたアイウェア。ブランドのモチーフ「アロー」が特徴的。©︎MonoMax Web
DJプレイで場を盛り上げるアブローとベラ・ハディット ©︎GXO
アブローは至って普通の高校出身であり、パリやニューヨークなどからも遠く離れた地で育った。学生時代は、ヒップホップやスケートボードなどの90年代を象徴するカルチャーに費やした。大学生になると、建築関係の仕事へ就くために土木工学や建築を専攻した。工学を5年間勉強した後、イリノイ工科大学へ移り建築を3年学んで修士号を取った。その際、近代建築三大巨匠の一人であるルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)のカリキュラムを受けていた。
アブローは、村上隆主宰の「Kaikai kiki Gallery」で世界初となる個展を開催した際のインタビューにて、「偉大な建築家というのは、脳をリプログラミングするくらいの影響力を持っている」と述べている。(美術手帖 2018)
建築には、モノの見方や考え方として、あるいは問題解決の方法として、アーキテクト的なものがあり、さまざまな創作活動に応用できる。彼は、そんな建築家として磨いた知識と哲学をファッションとして形に残していた。
師匠カニエ・ウェストとの出会い
ヴァージルアブローとファッションの交差点は一体なんだったのか。
それは、後に世界的ラッパーとなったYe(カニエ・ウェスト)との出会いだ。
アブローとカニエは、Fendi(フェンディ)でのインターンシップの同じクラスで出会った。その際、当時のCEOであるマイケルバーク(Michael Burke)により「見たことのない創造的な力」と評されている。
カニエ・ウェストと抱き合うアブロー ©︎VOGUE JAPAN
「ストリートウェア」時代の幕開けは消費者の反乱
アブローを始めとする若者たちはかつて「スーパーコンシューマー」(超消費者)というジャンルに押し込められていた。
2009年、彼はそんな仲間とともに、招待状もなしにパリ・メンズ・ファッションウィークへ足を運んだ。この時のファッションウィークでの一枚の写真が、注目を集めた。Goyard(ゴヤール)のスーツケースを持つカニエを中心に捉えられたこの写真の中で、アブローは青色の鮮やかなMoncler(モンクレール)のベストを着ていた。
ちなみにその後、『サウスパーク』にパロディのネタとしても使用されたこの写真は、彼のファッション・ブログの発端となった。
カニエもまた、現在YEEZY(イージー)というファッションブランドを持つほどファッションに造詣が深い。カニエは2002年のツアーの際、アブローにツアーグッズやステージ設計、ジャケットカバーなどを依頼した。アブローは当時裏方としてデザインをしていたが、ブランドを始めることを考えていたそうだ。
その後、アブローはカニエがクリエイティブエージェンシーとしてスタートしたDONDA(ドンダ)のクリエイティブディレクターに。
そして、同時期にシカゴでRSVP Gallery(アールエスブイピーギャラリー)をスタートした。
Pyrex Vision(パイレックスヴィジョン)の設立
カニエのクリエイティブディレクターを務めていたアブローとカニエは、オフホワイトの前身となるブランド、パイレックスヴィジョンをアメリカ・ニューヨークにてスタートする。
当初、ミュージックビデオ「PYREX VISION」の中の衣装が注目を集め、Ralph Lauren(ラルフローレン)の古着シャツやChampion(チャンピオン)などの既製品のバックプリントとしてブランドネームとナンバリングを模したアイテムをリリースした。デザインは、大きなプリント、パターン、シルクスクリーン印刷の要素が多く取り入れられ、非常に鮮明なブランド基盤を築いた。
Pyrex Vision – Youth Always Wins Lookbook 2013 ©︎LIFE
元は動画プロジェクトとして始まったが、その動画をYouTubeにアップしたところ、パリのセレクトショップColette(コレット)元オーナーサラ・アンデルマン(Sarah Andelman)から「そこに映っている服は買えるの?」という問い合わせが届いたことをきっかけにブランド化した。
PYREX SS2013.1 #TESTING(パイレックスヴィジョンのテスト)と称されたヴァージルによる投稿©︎virgilabloh
このブランドはアブローの原点として伝説的なブランドとなった。パイレックスビジョン設立のきっかけについて、アブローはこう答えている。
ファッションの周りに感情をほのめかしたかった。これは隠喩になり、若い子供たちが起こりたいと思っていることを再構築していることを表しています。皮肉な方法で服を選んで着たり、驚くような方法でそれらを着たりして、デザイナーの意図を超えるようにしています。※3
エイサップ・ロッキー(ASAP Rocky)などをはじめとする様々なセレブリティの着用によりブランドは瞬く間にネット上で話題に。しかし、パイレックス・ヴィジョンはワンシーズンのみの展開となり、ブランドは閉鎖となった。
アブローとオフホワイトの貢献
2017年には、パリに移住したばかりで在留資格がなく、そのため公式戦に出場できないサッカーチーム「Melting Passes」(メルティング・パッシーズ)のユニフォームを制作し、後にオフホワイトのショーに招いた。
オフホワイト c/o ヴァージル アブロー2018年秋冬コレクションのバックステージ。サッカーチーム「Melting Passes」の選手たちとヴァージルアブロー©︎VOGUE JAPAN
2020年には、ブラック・ライヴズ・マター運動への「ポスト・モダン奨学基金」を立ち上げた。それ以降、ブラック・オーナー・ビジネスへの資金提供や支援にも取り組んだ。そして、若いデザイナーのメンターとしても活動した。サミュエル・ロスなどを始めとする若い黒人デザイナーを指導し、オフホワイトのデザインチームにも雇用した。
「ストリート的な要素を別の世界に持ち込んだらおもしろいはず」ーインスピレーションの詮索
革新的な知見で常に面白いストリートの追求作品を生み出し続けてきたオフホワイトだが、ヴァージル・アブローとファッションのクリエイションにあたり、どのような考えを持って誕生し、何をひらめきに還元しているのだろうか。
彼がブランドを立ち上げる前、ソーシャルメディアはまだ未開拓の領域だった。そこで彼は、あえて正反対のものを並べることで、ブランドを作り上げていった。彼はファッションとして実際に起こっていることに強く惹かれ、その魅力とはクリエイティブの世界にあることに気づいたのだ。当時のファッション界には視覚的な試みをするブランドが皆無だったため、彼にとって参入しやすい状況だった。
ジャケットはどこまでいってもジャケットですし、 ジーンズにジーンズ以上の意味があるわけではありませんが、 もしそこに万国共通の意味を持つ工業用の斜線をスプレー印刷したらどうなるでしょうか。私はそう考えたんです。※4
「ストリート的な要素を別の世界に持ち込んだらおもしろいはず」※5
そうして、彼のブランドはスタートした。
しかし、その道のりは簡単ではなかった。
「私がグラフィックを使い始めると、ファッション業界の人たちは好き勝手に言うようになった。どうせカッティングの技術はないだろう。ヴァージルは生地を蔑ろにしている、と。」※6
偽物と本物のあいだにある「ニュアンス」とはなにか。 彼はステレオタイプを好んで使うが、それは人々の裏をかくためであり、まさに人々を利用していると述べる。彼はステレオタイプの理屈を理解した上で、それと戯れているのだ。
彼は著書『ダイアローグ』の中で、
「ファッションの世界に飛び込んだのはそこに入れる場所があったから」 「アート界を最後の自由領域〈アジール〉として尊敬するように」※7
と述べる。ファッションなら自由に表現できる。彼の確信は、ブランドの成功へと繋がった。
彼のインスピレーションの源泉となっているのは建築家であり近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)が創った「ファンズワース邸」だ。
シカゴ郊外にあるミース最後の住宅作品にして傑作と言われるこの住宅建築は、周囲にトウモロコシ畑が広がり、目の前に川の流れる緑豊かな場所にある。彼の建築思想が最も反映されたと言われている場所だ。
写真で辿るコレクション
オフホワイトは、アブロー自身の哲学や人生が投影されたブランドであることは、お分かりいただけただろうか。では、これまでオフホワイトはどのようなコレクションを生み出してきたのだろうか。その歴史を、写真とともに辿っていこう。
2018年
PITTI UOMO(ピッティ・ウオモ)で発表された2018年春夏メンズコレクションでは、
ピッティは伝統的なメンズウェアとテイラリングの祭典。そのコンセプトをNYのダウンタウンの若者たちに向けて自分なりに解釈した。イメージしたのは今までと同様、都会的な若者達の為の服だが、毎シーズン彼らは成長して洗練されていくと考えている。※8
とアブローが述べたように、「temperature(温度)」をテーマとしながら普段の生活で「temperature」をどう捉えているかにフォーカスした。
“HOT=イケてる”とは何なのか、今“熱い”ブランドが何なのか、それから“COOL=かっこいい”とは何なのか……。比喩的に用いられる温度が、このテーマの本質。(FASHION PRESS)
2019年
フランス・パリで発表された2019年春夏コレクション。
ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)のメンズコレクション アーティスティック・ディレクターとの兼任が決まってから初のコレクションとなり、注目が集まった。
ピュアなストリートに立ち返った、1980〜90年代アメリカのユースカルチャーがテーマ。また、1988年に37歳で他界したグラフィティアーティスト、ドンディ・ホワイト(DONDI WHITE)へのオマージュが込められた。
デニムスタイルを主役に掲げ、ストリートペイントのようなグラフィックやスパンコールなどの装飾で個性の光るコレクションとなった。
2020年
2020年春夏メンズコレクションでは、白い花と穏やかな音楽に包まれながら、柔らかな色彩と少しばかりのノイジーを纏った。カラフルなグラフィティプリントのセットアップに、グラデーションやブリーチ加工など繊細に施されたジャケットとパンツなど、アクティブでありながらコンパクト、且つ温かなコレクションとなった。
2021年
2021年秋冬コレクションは「LABORATORY OF FUN」と名付けられ、ワントーンのテーラード&ドレススタイルが主軸となり、鮮やかかつエレガンスなショーとなった。イギリスの女性ラッパーM.I.A.(エムアイエー)がパフォーマンスを披露。
New Guards Groupの支援を受け、前年ブランドは9月のファッションウィークスケジュールから撤退し、see-now-buy-now(新しい生産や流通のシステム)の流れに参加。このコレクションにて実際のファッションランウェイへの復帰を果たした。
2022-23年
アブローによる生前最後のコレクションとなった2022-23年秋冬コレクションでは、パンデミックによるデジタルコレクションから1年ぶりのパリでのランウェイとなった。
宇宙船地球号、「イマジナリー・エクスペリエンス 」と題されたショーは2部構成で行われ、1部ではアブローがこれまで発表してきた中で最も「大人」なメンズ・テーラリングが披露された。
あるモデルは、モノトーンのムーディーな黒のブレザー、スカート、パンツ、そしてレースアップのダービーを着用。オフホワイト×ナイキのエアマックスを履きつぶして、ベンチメイドのブローグに履き替えること以上に大人なことがあるだろうか?
何人かのモデルは、古典的なアブローのイズムを記した白い旗を持っていた。
「QUESTION EVERYTHING(あらゆることに疑問を投げかけよ)」
これはショーで最もあからさまなオマージュであり、最も目立つブランディングでもあった。
IKEAとのコラボレーション
2019年には、イケアとのコラボレーションを発表。家具コレクション「MARKERAD」(マルケラッド)は、2016年にヴァージルと「イケア」クリエイティブ・リーダーであるヘンリック・モスト(Henrik Most)がミラノで出会ったことをきっかけにプロジェクトがスタートした。
当初は2019年に「マルケラッド」のみを販売する予定だったが、2017年にコラボを発表したところ、瞬く間に世界中から早期販売を望む声が殺到した。しかし「家具」という性質上、安全性の問題などから発売を早めることができず、2018年“マルケラッド”の他に、追加で4種のラグコレクション「STILL LOADING」(スティル ローディング)を販売し、構想から3年を経ての販売となった。
コレクションのテーマは、“初めて1人暮らしするミレニアル世代が必要とするプロダクト”。「モナ・リザ」絵画風ライトや作動音が気にならないようにクオーツ機能を搭載したウォールクロックなど、1人暮らしの限られたスペースを有効活用できるように実用性を兼ね備えた北欧デザインオマージュの家具が並んだ。(©︎WWD JAPAN)
掛け布団カバーや枕カバー、クッションカバーにはオリジナルのオレンジタグがあしらわれた。©︎WWD JAPAN
ヴァージルはアイコニックなイケアのブルーバッグについて、「アートにもなりうる」と解釈し、“SCULPTURE”(彫刻作品)という文字をプリントしたショッピングバッグのイメージを展開した。これは、キャリーバッグとして商品化された。他にも、イケアのレシートを模したラグや、部屋に敷くものでありながら“WET GRASS”(濡れた芝)という文字があしらわれたグリーンのラグなどもローンチ。ヴァージルらしさ溢れる「一つ一つに愛着が持てる」ユニークでアイロニーに富んだ15アイテムが展開された。
最新コレクションをチェック
今月ニューヨークファッションウィークで行われた2025年春夏コレクション。
アメリカとアフリカの融合を表現し、深くエモーショナルで、チャンスのユートピアとしてのニューヨークを考察している。
ガーナ人アーティストのナナ・デンソー(Nana Danso)がグラフィックを施したバーシティジャケットが印象的だ。全体を通して赤色が目立つ鮮やかで洗練されたコレクションであり、ジッパーや非対称のレイヤリングに、刺繍やクリスタルなどを持って仕立てられた。
クリエイティブ・ディレクターのイブ・カマラ(Ib Kamara)はHYPEBEASTのインタビューにて、
「このコレクションは、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)の出身地であり、彼が大切にし、作品のなかで常に言及しているルーツであるガーナへの旅行がきっかけとなりました。私はシエラレオネで生まれ、イギリス・ロンドンで育ちましたが、私たちの経験はとても似ているものでした」。「アメリカ、特にニューヨークは、アフリカ人の集合的想像力のなかで表されたもの、つまり夢のようなユートピアが現実となり、チャンスが与えられる場所であったことを私は鮮明に覚えています」※9
と語るように、理想郷が現実へ昇華されたような都会的なコレクションとなった。
私が後世に残すものが、物や美学であってはいけないと思っています。後進のためにすべきは、現代のクリエイティブのありかたとその可能性を再定義することです。ここは強調させてください。私にとって物〈オブジェ〉は考えかたを指し示すための一手段にすぎないんです。※10
彼が後世に残したいものは、何よりも、メインストリームを変えるロジックだ。
彼が亡くなった今、彼のクリエイティブを受け継ぐ者がいる。だが、私たちはどうだろうか。ただの消費者として存在してしまってはいないだろうか。ファッションに正解はないが、彼の思想を辿ることが一つの大きなヒントとなるだろう。