SAINT LAURENT:フェミニンかつマスキュリンなクチュール・メゾンの歴史

SAINT LAURENT:フェミニンかつマスキュリンなクチュール・メゾンの歴史

1962年、イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)によって立ち上げられたブランド「SAINT LAURENT(サンローラン)」。ブランドが立ちあがって以来、デザイナーを変えながらもシックでラグジュアリーなクリエイションで常にファッション界のトップに君臨し続けている王道のクチュール・メゾンだ。

今回は、サンローランの歩みをデザイナーの世界観とあわせて見ていこう。サンローランが醸しだすフェミニンとマスキュリンの空気に酔いしれながら。

サンローランのリヴゴーシュタキシードを着たベティ・カトルー/1993© Steven Meisel

サンローランの生みの親 – イヴ・サンローラン

1936年、フランス領アルジェリアの地で未来の天才が誕生した。

幼少期からデザインの才能を発揮していた彼は、17歳でパリに渡り、シャンブル・サンディカル・ド・ラ・オート・クチュールでファッションを学ぶ。その非凡な才能は早くも注目を集め、1954年には国際ウール事務局(IWS)が主催するデザインコンテストで最優秀賞を受賞する。

1953年、パリのコンペにてドレス部門3位に入賞した際のデザインを持つサンローラン©AP/SIPA

このコンテストがきっかけとなり、彼はクリスチャン・ディオール(Christian Dior)と運命的な出会いを果たした。ディオールはその才能に感銘を受け、イヴを後継者として指導を開始する。

しかし、1957年、ディオールの急逝という悲劇がブランドを襲うと、わずか21歳のイヴは主任デザイナーに就任することとなった。巨匠の遺産を背負いながらも、その期待に応えるように人気を博し、一躍時代の寵児となる。

ディオールの葬式に参列したサンローランとサンローランのパートナー・ベルジェ©Yves Saint Laurent, cited in the Met catalogue, 1983.Galerie

しかし、華々しい成功の裏には苦難もあった。アルジェリア独立戦争の影響でフランス軍に徴兵されたイヴは、突如ディオールを解雇される。

軍隊内でのいじめやストレスにより精神を病むも、心身を癒しながら恋人でありビジネスパートナーのピエール・ベルジェ(Pierre Berge)とともに、1961年に自身のメゾン「Yves Saint Laurent(イヴ・サンローラン)」を立ち上げ、新たな一歩を踏み出した。

ダイニングルームにて。イヴとベルジェ。/1960s© Droits réservés

VOGUE JAPAN - 左から、ベティ・カトルー、イヴ・サンローラン、エディ・スリマン、ピエール・ベルジェ。ベティはイヴのミューズであり、エディは2012年から2016年までサンローランのクリエイティブ・ディレクターを務める。© Bertrand Rindoff Petroff / Contributor

革新のデザインと伝説のスタイル

イヴは次々と画期的なデザインを発表し、モード界に革命を起こしていく。当時与えたインパクトはもちろんのこと、伝説のスタイルとして後世にも語り継がれている。

さらに、時代を超えて、イヴの血を継ぐデザイナーたちがこれらの作品をオマージュしたコレクションを発表している点も押さえておこう。

1965年:モンドリアンルック

アートとファッションを融合させた「モンドリアンルック」を発表。オランダの抽象画家ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian)の作品からインスピレーションを得た大胆なデザインは、彼の名を世界に知らしめた。

カクテルドレス©Eric Koch Nationaal Archief

1965年に発表されたモンドリアンルックをオマージュした2002年のルック©Pierre Verdy/AFP/Getty Images

1966年:ル・スモーキング

色鮮やかなモンドリアンルックから一転。イヴは男性用タキシードを女性のためのスーツに昇華させ、クールでエレガントな女性像を提案した。

さらに、エレガントな女性に贈るプレタポルテライン「Yves Saint Laurent rive gauche(イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ)」を展開し、ファッションの新たな市場を開拓する。

1990年代、女性のパンツスタイルは物議を醸すスタイルだった。そんな時世のなかで、サンローランは従来の女性らしさへの反骨精神としてル・スモーキングを発表したのだ。

タキシードをスタイリッシュに仕上げたル・スモーキングは、アンドロジナス(両性具有)的なエレガントさを表していると言えるだろう。

ル・スモーキング©Reg Lancaster/Getty Images

ちなみに、「スモーキング」は「タキシード」の同義語だ。紳士が、食後の喫煙時に羽織っていたガウンからタキシードが生まれたことに由来する。※1

1968年:シースルー/ジャンプスーツ/サファリルック

1966年から1968年には、シースルーやジャンプスーツ、サファリルックでセンセーションを巻き起こした。

ジャンプスーツはもともと飛行士が着用する機能的な衣服で、その多くは男性が着るものだったという。

また、サファリルックも狩猟のための衣服であることから、男性的な衣服とされてきた。イヴはそこに目を付け、背が高い女性に向けたエレガントなシルエットへの再構築を試みたのだ。

左 シースルー袖とジャンプスーツ、右 サファリジャケット/1968

My style is androgynous. Since I noticed that men had much more confidence in themselves and in their clothes and that women were not so confident in themselves, I sought to give them confidence and a figure. (私のスタイルは両性具有です。男性は自分や服装に自信があり、女性は自分自身にあまり自信がないことに気づいたので、私は彼女たちに自信と体型を与えようとしました。)※2

サンローランとアンドロジナス

イヴの革新的なスタイルから伺えるように、彼は女性の新たな一面やそもそもジェンダーというものに対するアンドロジナスさを追い求めてきた。

その背景には、彼の家族構成や人間関係があるのだろう。

そもそも、イヴには二人の姉ミシェルとブリジットがおり、母親もファッション雑誌の読者だったことから女性的な文化に触れて育ったという。

サンローラン一家©Musée Yves Saint Laurent Paris

I was secretly cutting up my mother’s dresses to clothe my theater characters, whose costumes I made out of fabric. (私はこっそり母のドレスを切って、劇場のキャラクターたちに着せ替えていました。その衣装は母のドレスの布地で作りました。)※3

イヴと彼の紙人形、パリ/1957©Musée Yves Saint Laurent Paris

イヴのミューズ - ベティ・カトルー

イヴにはミューズがいる。パリのナイトクラブでイヴが一目ぼれしたベティ・カトルー(Betty Catroux)だ。

ナイトクラブで痩身を漂わせていたベティとイヴは、この運命的な出会い以来、親友として離れることはなかったという。

ベティのミステリアスなムードや中性的な美は、イヴが目指す世界観そのものだったのだ。

サンローランとベティ/1970s© Droits réservés

We were both very skinny, very pale, both platinum blonds with an androgynous side. We both had a taste for the louche. I was his double. (私たちは二人ともとても痩せていて、肌がとても白く、プラチナブロンドでアンドロジナスな一面を持っていました。二人とも退廃的なものに惹かれ、私は彼の分身のような存在でした。)byベティ※4

晩年とその遺産

2002年、イヴはパリ・オートクチュール・コレクションを最後に引退を発表した。その6年後の2008年、ガンのため71歳でその生涯を閉じた。

告別式には、彼の功績を称えるため世界中から著名人が集まり、彼の名がいかにモード界に刻まれたかを示している。

彼はとくに女性のスタイルにおいて、従来の「女性らしさ」による窮屈さをエレガントに飛翔させてみせた。フェミニンさを奪うことなくマスキュリンを取り込んだスタイルは私たちを魅了し、今なお影響を与えて続けている。

イヴが遺したものは、後世のデザイナーや私たちがこれからも受けついでいくだろう。

サンローランの葬儀。サルコジ元大統領やヴィヴィアンウエストウッドなどが参列した。また、サンローランのもうひとりのミューズ・ルル・ドゥ・ラ・ファレーズ(中央/サングラスをかけた女性)とその娘も葬儀に訪れた。©ELLE JAPON

新生サンローランへ

イヴが去った後も、彼が育てた草木は青々とした葉を広げ続けている。ここからは、彼の意志を受け継ぎ、その精神を新たに紡いでいくデザイナーたちを紹介しよう。

ブランドに吹き込む新たな風

1998 年、サンローランはアルベール・エルバス(Alber Elbaz)をデザイナーに選んだ。LANVIN(ランバン)のデザインを手がけたことで有名だが、実はイヴの後継者としてサンローランのデザイナーを務めていたことがある。

イヴの時代を感じさせる、エレガントでシックなスタイルを提案した。

ところが、アルベールがデザイナーに就任して1年後の1999年にGUCCI(グッチ)がサンローランを買収したことで、彼はサンローランを去ることになった。

アルベールによる2000-01AW©JEAN-PIERRE MULLER/AFP/Getty Images

トム・フォード的転回

アルベールに変わってサンローランを導くことになったのがトム・フォード(Tom Ford)だ。

トム・フォードは、今までのサンローランのエッセンスに凛とした女性のセクシーさを加えた。

セクシーというトム・フォードらしさがありつつも、シースルーを思わせるレースをあしらったクリエイションやスカートタイプのジャンプスーツが登場し、サンローランへのリスペクトが随所にちりばめられている。

©︎VOGUE

変化の時代とステファノ・ピラーティ

2004年にトム・フォード自身のブランド立ち上げのため、サンローランを去った彼の次にデザイナーに就任したのがステファノ・ピラーティ(Stefano Pilati)だ。

ピラーティは、サンローランで最初のメンズウェアコレクションを始めたデザイナーでもある。

細身のシルエットやイヴ当時の特徴であるシャープな肩のライン、調和のとれた色彩は、イヴのクリエイションをリスペクトし、オマージュしたものだ。

©︎VOGUE RUNWAY

これまでのサンローランを継承するだけでなく、徐々にピラーティらしさも見られるようになる。2007年には、菫をメインにした花々にインスピレーションを受けたシックでありながら華やかなクリエイションも発表している。

©︎VOGUE RUNWAY

エディ・スリマンによる革命

2008年にイヴが逝去したことで、サンローランの売上は激減したという。そんな窮地に登場したのが、Dior Homme(ディオール・オム)のクリエイティブ・ディレクターを務めていたエディ・スリマン(Hedi Slimane)だった。

2012年、エディがクリエイティブ・ディレクターに就任すると、彼はそれまで「Yves Saint Laurent」だったブランド名を「SAINT LAURENT」に改名し、新たな時代としてサンローランを切り開いていったのだ。

彼の改革は賛否を巻き起こしたものの、ブランドの売上とイメージの向上に大きく貢献している。

たとえば、フォトグラファーであるエディは、自ら広告キャンペーンの撮影や店内のディレクションを行った。モノトーンでグラムロックな雰囲気はラグジュアリーとモダンを華麗に融合させている。

photo by Hedi Slimane©SAINT LAURENT

クリエイションもエディらしさに溢れていた。彼のアイコンであるレザージャケット、ミニスカートやスリムなデニム、アーミーパーカーは大衆的であると批評されることもあったが、それでも洗練されたカッティングや素材から醸し出されるエレガントさが熱狂的なファンを獲得した。

初期のコレクションでは、イギリスのロックバンド・The Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)やアメリカのロックバンドNirvana(ニルヴァーナ)を想起させるクリエイションが登場した。ロックさはエディのクリシェであり、代名詞だ。

©︎VOGUE RUNWAY

サンローランでのエディのクリエイションはますます磨きがかかっていった。たとえば2016年秋のメンズウェアコレクションでは、ロックンロールなだけでなく洗練されたヴィンテージ感やグランジを取り入れてサンローランらしく昇華した。

©︎VOGUE RUNWAY

このコレクションには、金髪のジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)やゴールドのスパンコールやグリッターを身に纏ったレディ・ガガ(Lady Gaga)、ヒョウ柄のジャケットに光沢のあるハイレグを合わせたミランダ・カー(Miranda Kerr)などが訪れており、エディのサンローランがいかに注目を集めていたかが伺える。

左からジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)、レディ・ガガ(Lady Gaga)、ミランダ・カー(Miranda Kerr)

ロゴや店内、キャンペーンの写真などさまざまな改革を行ってきたエディ。彼の最後の改革は、クチュールの復活であった。

パリはサンジェルマン・デ・プレ ユニヴァルシテ通り24番地に、18世紀を思わせるクチュールサロン「ホテル・セネクテレ」を誕生させたのだ。

クチュールサロンは、オートクチュールのためのサロンである。オートクチュールとは、ショーでも見ることのない顧客ひとりひとりのためのピースを指す。

エディによるサンローランのラストコレクションは、このホテル・セネクテレで行われた。

©︎VOGUE

ヴァカレロが引き継ぐサンローランのDNA

2016年、ファッション業界に激震が走った。エディがサンローランを去ることが発表されたのだ。「最も難しいポジション」と言われたエディの後継という大役を背負ったのが、アンソニー・ヴァカレロ(Anthony Vaccarello)である。

ヴァカレロは、ベルギー出身のデザイナーだ。

思春期にジャン=ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)やアズディン・アライア(Azzedine Alaïa)、ジャンニ・ヴェルサーチ(Giovanni Maria Versace)などに影響を受けたと述べる※5彼のクリエイションは、ラグジュアリーでありつつも厳かな落ち着きに満ちている。

©Collier Schorr

イヴの盟友かつミューズであるベティとタッグを組みながら、サンローランを包含する両義性や現代性に挑戦する。

私は、常にイヴが興味を持ったり取り組んだりしていたことに関心を抱いていた。だから、「サンローラン」に加わった当初から、ずっと同じようなことに引かれ続けてきたのだと思う。「サンローラン」に対する私のビジョンは、何よりもその身のこなし、雰囲気、生き方といったアティチュードにあると考えている。※6

ベティとヴァカレロ© Courtesy of Saint Laurent

イヴの継承者として、自身の役割をイヴの「通訳」だと語るヴァカレロ。彼のクリエイションからはたしかに、イヴの持っていたエレガントでアンドロジナスなエッセンスが漂っている。

実際、エディが去ったあとのサンローランという困難な立場の中にありながら、ヴァカレロは着実とファンの心を掴んでいった。

©︎VOGUE

ヴァカレロとサンローランのこれから

サンローランでの地位を確実なものにしたヴァカレロ。

2025年春のレディトゥウェアでは、サンローランのクリエイションへの立ち返りだけでなく創設者であるイヴ本人にフォーカスしたコレクションを発表している。

このコレクションに際して、ヴァカレロは2000年頃のイヴのインタビューにインスピレーションを受けたという。

インタビューでイヴは「he’d been asked about who his woman was, and the designer had replied it was him. (自分の理想の女性は自分)」と答えており、ヴァカレロはイヴのこのアンサーから出発することにしたのだそう。※7

©︎VOGUE

©︎VOGUE

ヴァカレロが得意としていた、それまでのドレッシーなスタイルから一転。男性的なテーラリングに挑戦している。

ダブルのジャケットやゆったりとした広めのパンツ、イヴを想起させる重厚なメガネなど、新しい要素を取り入れつつもイヴを懐かしむようなクリエイションに仕上げた。

まさに、イヴの通訳者というべきコレクションだったと言えるだろう。ヴァカレロは、イヴが目指していたウィメンズのマスキュリンさ、メンズのフェミニンさを融合し、性別の脱構築をエレガントに行っている。

イヴ・サンローラン、その名は単なるデザイナーを超え、時代の象徴となった。彼のクリエイションやフィロソフィーは今もなお人々を魅了し、モードの歴史に輝き続けている。

むしろ、「多様性」と言われる時代に先んじて自らのジェンダー観やセクシャリティをファッションに落とし込んだサンローランこそ、今最も注目すべき人物なのかもしれない。

References

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